ノマドワーカーの雑記帳

教育やノマドワーカーについて、その他色々な事について書いていきます。

現在の教育の課題矛盾と難しさ・・・そして、克服できるのか?

 

教育の課題は多い。現職時代、多くの問題を抱えながら子供たちを教育してきた。今回は、あまり世に出ていない教育の課題(小学校編)について考えていきたい。

 

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・30名学級の実現


 現状では、30数名のクラスが殆んどである。そのため、一人ひとり平等な教育を受けている状態とは言えない。また、担任の目が届きにくいため、きめ細やかな指導ができない状態である。

 

・小学校英語教育導入


 現状の改善のないまま、無理やり英語を教科化する体制。英語を教える教員はいないのに担任の負担は増加。また教科担当外の授業を創らなくてはいけないため残業が増加。小学校教員養成課程にも英語教科を作らないでいることも問題である。おそらく、英語教育を学校で行うことに限界がある。近年、文部科学省は焦りながら対応策を考え、教育員委員会では教員採用試験に英語免許や英検などの資格を持っているものに大して有利な判定をするようにしている。しかし、効果がない。

 

・教員採用試験の倍率の低下


 現在の社会的背景(いわゆるブラック企業化)の一部として学校組織が捉えられているため2018年の教員採用試験倍率は低下。1.2倍の県(新潟県)も出てきている。そのため教員の質の低下につながる。

 また、英語教育やプログラミング教育を導入することで多種多様化する教科に対応できない教員が増加。大学でも何をターゲットにした教育をすべきか混沌としている。

 

・小学校パソコン教育(プログラミング授業)の実施


 英語の教科化と同様、プログラミングを教える知識を持たぬ教員が大多数である。ましてや、パソコンの機能をまともに使用できない教員がいる中での導入に疑問が残る。

 

・小学校指導要領の改訂の多さ


 小学校指導の基本となる指導要領の改訂が多い。特に近年は「生きる力」「自ら考え、行動する力」をキーワードとして掲げている。確かに必要不可欠な力であることは認識できる。しかし、一方で教員の質が向上しなくては意味をなさないことは明白である。
 また、「生きる力」の育成を掲げた学習指導要領では、「総合的な学習の時間」を運用されている。結果的に自由度の高い「総合的な学習の時間」は、都合の良い時間として利用されることが多い(足りない教科の補填など)「総合的な学習の時間」の扱いがいい加減なため、授業を組み立てる教員の負担が大きい。結果的に「生きる力」を育むための時間として運用されていない。

 

・国際化に対応した人材の育成


 国際競争に全体的に遅れている中で、無理やり英語やプログラミングの授業を併設したため、予算、人材、教育の質ともに遅れをとっている。最近のOECD加盟国のランキングでは、34か国中33位と水準が低すぎる。

 

・教科担任制の導入と担任の意義の見直し


 低学年の間、担任制を導入し、中学年頃より教科担任制を敷く。そうすれば、幅広い教員との交流を持つきっかけを得ると同時に、教育の質の向上に繋がることが予想されるが、今のところ財源の見通しが立たない。

 

・学習障害を持つ児童の扱いについて


 小学校における学習障害を持つ生徒は、各学級に2~3名いるとされているが、その現状を把握している先生も多い。しかし、実際に親にストレートに、「医者の診断をしてください」とは言えず、対応が後手後手に回ることが多い。そのため、学習障害の発見が遅れる原因に繋がっている。

 

・アクティブラーニングの可能性


 すべての教育機関(小・中・高・大)を通して、アクティブラーニングが求められる。実際のところ、文部科学省がこれまで要求してきた「生きる力の育成」を言い換えただけに過ぎない。

 果たしてアクティブラーニングができるかどうかであるが、私は「できない」と考えている。理由として、教師の質が担保されていないからである。教員そのものにアクティブラーニング、つまり「生きる力」そのものがないからである。だから、児童・生徒にも教えることができない。そもそも、この考えは、教育先進国の考え方であり、教師の過重労働を強いられた現在の教育では崩壊する可能性がある。

 では、どうすればいいのか。簡単である。教員の業務を軽くするために、教員自体の数を現在の倍近くまで増やすことである。教員を増やすことで業務に余裕が生まれ、生徒とのコミュニケーションが密に行われる。そこから、アクティブラーニングの原型がうまれてくるものである。

 

・現在の教育への提言として


 現在の日本の教育はもう崩壊寸前である。予算上も人材も。そのことを社会全体が理解しなくてはならない時期が来ていると考える。さらに、追い打ちをかけるように文部科学省は教科を増加し、理屈だけの教育論を並べている。各教育委員会は、文部科学省ありきの機関であり反発することもない現状である。
 

 一方で、福祉にも問題がある。発達障害児の問題である。教育と福祉とは関係ないように思われがちだが、実施には密に関係がある。福祉分野は、発達障害児を扱うのはプロであり、教育のプロでもある。つまりどういうことかというと、現在、児童・放課後等デイサービス(障害児の支援施設)では、福祉の資格よりも学校の資格つまり、教員免許を持った指導員を必要としている。これは、児童指導員と呼ばれる人達で、教員免許取得等の特定の要件を満たした人が持つ任用資格である。つまり、福祉にも教育のプロが必要であるということである。
 

 先ほど、現在の教育は崩壊寸前と述べたが、今後さらに人材の確保が難しくなるであろうと推測される。理由として、先に挙げた福祉分野でも人材不足だからである。密に関連していると述べたのはそのためである。
 

 教員採用試験対策のみで採用された学生はもう必要ないと考える。それよりももっと柔軟に特別枠を増やし、一定の社会経験等を考慮した教員を確保すること。それこそが、現在の教育を変える唯一の手段となりえるのではないかと考える。しかし、教育の予算、質ともにOECD加盟国34ヶ国中33位なのはやはり、厳しく受け止めるべきであろう。教育こそが人間の根幹をなすものであり、将来の経済成長を促す人材育成であるということを国は理解し、判断してもらいたいものである。

 

どうでしょう?今の小学校教育には大きな課題があることがお分かりいただけたでしょうか。公立の教育制度の崩壊はほとんど目に見えていることである。